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裸のランチ (河出文庫) 文庫 – 2003/8/7
ウィリアム・バロウズ
(著),
鮎川 信夫
(翻訳)
クローネンバーグが映画化したW・バロウズの代表作にして、ケルアックやギンズバーグなどビートニク文学の中でも最高峰作品、待望の文庫化。麻薬中毒の幻覚や混乱した超現実的イメージが全く前衛的な世界へ誘う。
- 本の長さ373ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房
- 発売日2003/8/7
- 寸法10.5 x 1.4 x 14.8 cm
- ISBN-104309462316
- ISBN-13978-4309462318
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商品の説明
著者について
ミズーリ州生まれ。1952年にデビュー作『ジャンキー』発表。1959年発表の『裸のランチ』が大きな話題となる。妻殺し、ドラッグ漬け、バイセクシュアルなど、様々な顔を持ち、多くのアーティストに影響を与えた。
登録情報
- 出版社 : 河出書房 (2003/8/7)
- 発売日 : 2003/8/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 373ページ
- ISBN-10 : 4309462316
- ISBN-13 : 978-4309462318
- 寸法 : 10.5 x 1.4 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,490位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 278位英米文学研究
- - 439位英米文学
- - 1,782位楽譜・スコア・音楽書 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年7月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ビート・ジェネレーションの巨匠の1人、ウィリアム・バロウズの作品。ジャック・ケルアックの「路上」を何度も読んだ高校・大学時代(25年以上も昔ですが。)から、この時代の巨匠として名前は知っていましたが、作品を読むのは、今回が初めてでした。
内容としては、最初から最後まで「エロ・グロ」という作品で、個人的には苦手な作品と言ってよく、前半のところで、最後まで読み通せるかどうか不安になりましたが、その点を我慢して読み進めると、あまりにも「エロ・グロ」が非現実的で、私のリミッターを振り切ってしまい、「これは、真面目に読んではいけないのだ。」と気づきました。ストーリーのスピード感と「マジか。」という展開の意外性を楽しめばよい作品だと思います。そんな感じで割り切ると、そのスピード感と意外性がクセになる感じで、一気に読んでしまいました。
それでも、バロウズにとっては、何らかの意味で「現実」だったのだと思うと、結構恐い作品で、一度読んでしまうと、「読んだ。」ということは記憶からは消せないような作品です。その点では、坂口安吾の「不連続殺人事件」を読み終えた時と同じような読後感でした。
内容としては、最初から最後まで「エロ・グロ」という作品で、個人的には苦手な作品と言ってよく、前半のところで、最後まで読み通せるかどうか不安になりましたが、その点を我慢して読み進めると、あまりにも「エロ・グロ」が非現実的で、私のリミッターを振り切ってしまい、「これは、真面目に読んではいけないのだ。」と気づきました。ストーリーのスピード感と「マジか。」という展開の意外性を楽しめばよい作品だと思います。そんな感じで割り切ると、そのスピード感と意外性がクセになる感じで、一気に読んでしまいました。
それでも、バロウズにとっては、何らかの意味で「現実」だったのだと思うと、結構恐い作品で、一度読んでしまうと、「読んだ。」ということは記憶からは消せないような作品です。その点では、坂口安吾の「不連続殺人事件」を読み終えた時と同じような読後感でした。
2019年10月9日に日本でレビュー済み
ウィリアム・バロウズは生前は生粋のジャンキー。ありとあらゆるクスリをヤッたやべー奴。
そんな彼が最後に残した言葉は、
愛、それはなんだ
もっとも自然な鎮痛剤それだ。愛
という言葉でした。これは彼の日記の最終ページに書かれていたそうです。
彼はウィリアム・テルごっこ(銃を使って頭上のリンゴを撃ち落とすごっこ遊び、なお本人は実銃を使ったためごっこではない)を酔っぱらった状態で妻と行い、不慮(?)の事故で妻を誤って射殺してしまいました。
ちなみに彼はホモ。同性愛者でありながら妻とも上手くやっていたそうです。その証拠に本書にはかなりのエログロ描写が見受けられます。
そんな彼はこの本を著しました。
ここで唐突ですが皆さんは中学生のころ、美術の授業でコラージュという表現技法を学んだことと思います。
彼は言語という表現材料でそれを成しました。これを「カットアップ」と一般には呼びます。
例えば一旦普通の小説を文字に描き、それをバラバラにする。それをバラバラな順番で文章に見えるよう配置し清書する。そうして完成したのがこの本。「裸のランチ」です。
「裸」(彼の思うがままの文章)を料理して作ったものが「ランチ」、つまりこの本の文章だったのかもしれません。
また、彼は自身の記憶(記録)を日記に記していました。これを文章に起こし、バラバラにランチを作ることで愛していた妻を誤って失ってしまった「事実」を自身の記憶、メモリー、思い出の数々の順番を「料理」することで変えようとした、もしくはその事実を受け止めたくなかったということではないでしょうか。
こんな彼が最後に残した言葉が
愛、それはなんだ
もっとも自然な鎮痛剤それだ。愛
だったと考えればどうでしょうか。
また、私たちが見る「夢」とは話の辻褄がどこか途切れていたり、最愛、最親の友人などと話しているときはある程度言葉が拙くても伝わりますし、何より意味が分からないことの方が多い。
だからこそ私はこの作品に既視感を疑わずにはいられませんでした。
ジャンキーが文字で描いた世界だとしても、そこにあるのは彼の夢でもあり事実でもあり、それ自体をひっくるめて彼の、妻に対する「愛」を表現したかった
そう思わずにはいられませんでした。
この作品は一言でいえば「理解不能」かもしれません。ですが、「言語」というものに縛られないこの作品はとても素晴らしい。 映画は音楽、言葉、映像、などのたくさんの情報で私たちを圧倒します。それは芸術も然りです。先ほどのコラージュや、スパッタリング。マーブリングなどもありますね。
これらの様に、特定の物に縛られることなく、「言語」、「文字」というものの在り方は一つではない、そう思わせてくれる作品です。
皆様も一度読んでみてはいかがでしょうか。
僕は一度も読んだことないですけど。
そんな彼が最後に残した言葉は、
愛、それはなんだ
もっとも自然な鎮痛剤それだ。愛
という言葉でした。これは彼の日記の最終ページに書かれていたそうです。
彼はウィリアム・テルごっこ(銃を使って頭上のリンゴを撃ち落とすごっこ遊び、なお本人は実銃を使ったためごっこではない)を酔っぱらった状態で妻と行い、不慮(?)の事故で妻を誤って射殺してしまいました。
ちなみに彼はホモ。同性愛者でありながら妻とも上手くやっていたそうです。その証拠に本書にはかなりのエログロ描写が見受けられます。
そんな彼はこの本を著しました。
ここで唐突ですが皆さんは中学生のころ、美術の授業でコラージュという表現技法を学んだことと思います。
彼は言語という表現材料でそれを成しました。これを「カットアップ」と一般には呼びます。
例えば一旦普通の小説を文字に描き、それをバラバラにする。それをバラバラな順番で文章に見えるよう配置し清書する。そうして完成したのがこの本。「裸のランチ」です。
「裸」(彼の思うがままの文章)を料理して作ったものが「ランチ」、つまりこの本の文章だったのかもしれません。
また、彼は自身の記憶(記録)を日記に記していました。これを文章に起こし、バラバラにランチを作ることで愛していた妻を誤って失ってしまった「事実」を自身の記憶、メモリー、思い出の数々の順番を「料理」することで変えようとした、もしくはその事実を受け止めたくなかったということではないでしょうか。
こんな彼が最後に残した言葉が
愛、それはなんだ
もっとも自然な鎮痛剤それだ。愛
だったと考えればどうでしょうか。
また、私たちが見る「夢」とは話の辻褄がどこか途切れていたり、最愛、最親の友人などと話しているときはある程度言葉が拙くても伝わりますし、何より意味が分からないことの方が多い。
だからこそ私はこの作品に既視感を疑わずにはいられませんでした。
ジャンキーが文字で描いた世界だとしても、そこにあるのは彼の夢でもあり事実でもあり、それ自体をひっくるめて彼の、妻に対する「愛」を表現したかった
そう思わずにはいられませんでした。
この作品は一言でいえば「理解不能」かもしれません。ですが、「言語」というものに縛られないこの作品はとても素晴らしい。 映画は音楽、言葉、映像、などのたくさんの情報で私たちを圧倒します。それは芸術も然りです。先ほどのコラージュや、スパッタリング。マーブリングなどもありますね。
これらの様に、特定の物に縛られることなく、「言語」、「文字」というものの在り方は一つではない、そう思わせてくれる作品です。
皆様も一度読んでみてはいかがでしょうか。
僕は一度も読んだことないですけど。
2021年6月19日に日本でレビュー済み
読書自体が苦痛だった。
そもそも、日本の文学で満足しないで、世界の最果ての文学を読んでみたいという発想で、選んだのが本書である。デヴィッド・ボウイをはじめ、アンダーグラウンドな精神を持ったミュージシャンたちからも評価が高く、とにかくブッ飛んでいることで有名な、ウィリアム・バロウズ、1959年の著である。購入して10ページくらい読んだが、もう無理だと思って放置していた。それから、1年くらい経ってから、とにかく最後まで読んでみようという強い意志を持って、1カ月半くらいかけてなんとか読み切った。しかし、しんどかった。読んで何か自分の役に立つとはとうてい思えない。読むことが時間の無駄だとしか感じられない。それくらい、マイナス側に振り切れた本だと言えるかもしれない。
内容は、ジャンキーのドラッグ摂取と中毒、売人、ホモ行為、人間の悪意、人種差別、愉快殺人、汚物、そうしたものが配された支離滅裂で悪ふざけなストーリーがぶつ切れに並べられた小説である。米国の怪奇的なアングラ映画に近い世界かもしれない。しかし、まだそうした映画のほうがまともで優しいものである。
私はそのような感想しか持てなかったので、名の通った評論家によるあとがきから講評を引用しておく。
まずは、訳者である鮎川信夫氏によって1965年に書かれたあとがきから:『バロウズの作品は現代世界文学の最前衛における台風の目のような存在になってきている。その彼も、「裸のランチ」が出版されるまでは、英米読書界の一部をのぞいてそれほど知られていなかったのであるから、本書の出現は大きな文学的事件として記憶されるに足るものと言えるだろう。・・・いかなる人間もジャンキーと変わりないものだという認識は、現実を回避したがる多くの人びとに嫌悪を催させ、身慄いさせるかもしれない。・・・いずれにしてもバロウズが自分の感覚の前にあるものとして再現してみせたものは、すぐれた幻視者にとってのみ見ることの可能な現代の地獄図なのである。』
つぎに、山形浩生氏による1992年の解説から:『原著の刊行からほぼ30年がたった現在、本書はすでに20世紀の古典としての地位を確立している。かつては単なるきわもの的な部分ばかりがとり沙汰されていたが、そうした部分の衝撃性が相対的に薄れ、カットアップや折り込みという技法への過度の期待もやっと沈静化した今日「裸のランチ」を筆頭とするバロウズの世界そのものに対する共感なり反発なりが、ようやく表面に出てきているのだ。・・・視覚的であるよりは聴覚/嗅覚/触覚的、具体的であるよりは抽象的な世界。人間関係の構造だけが顕在化した、まるで神話のような世界。』
そもそも、日本の文学で満足しないで、世界の最果ての文学を読んでみたいという発想で、選んだのが本書である。デヴィッド・ボウイをはじめ、アンダーグラウンドな精神を持ったミュージシャンたちからも評価が高く、とにかくブッ飛んでいることで有名な、ウィリアム・バロウズ、1959年の著である。購入して10ページくらい読んだが、もう無理だと思って放置していた。それから、1年くらい経ってから、とにかく最後まで読んでみようという強い意志を持って、1カ月半くらいかけてなんとか読み切った。しかし、しんどかった。読んで何か自分の役に立つとはとうてい思えない。読むことが時間の無駄だとしか感じられない。それくらい、マイナス側に振り切れた本だと言えるかもしれない。
内容は、ジャンキーのドラッグ摂取と中毒、売人、ホモ行為、人間の悪意、人種差別、愉快殺人、汚物、そうしたものが配された支離滅裂で悪ふざけなストーリーがぶつ切れに並べられた小説である。米国の怪奇的なアングラ映画に近い世界かもしれない。しかし、まだそうした映画のほうがまともで優しいものである。
私はそのような感想しか持てなかったので、名の通った評論家によるあとがきから講評を引用しておく。
まずは、訳者である鮎川信夫氏によって1965年に書かれたあとがきから:『バロウズの作品は現代世界文学の最前衛における台風の目のような存在になってきている。その彼も、「裸のランチ」が出版されるまでは、英米読書界の一部をのぞいてそれほど知られていなかったのであるから、本書の出現は大きな文学的事件として記憶されるに足るものと言えるだろう。・・・いかなる人間もジャンキーと変わりないものだという認識は、現実を回避したがる多くの人びとに嫌悪を催させ、身慄いさせるかもしれない。・・・いずれにしてもバロウズが自分の感覚の前にあるものとして再現してみせたものは、すぐれた幻視者にとってのみ見ることの可能な現代の地獄図なのである。』
つぎに、山形浩生氏による1992年の解説から:『原著の刊行からほぼ30年がたった現在、本書はすでに20世紀の古典としての地位を確立している。かつては単なるきわもの的な部分ばかりがとり沙汰されていたが、そうした部分の衝撃性が相対的に薄れ、カットアップや折り込みという技法への過度の期待もやっと沈静化した今日「裸のランチ」を筆頭とするバロウズの世界そのものに対する共感なり反発なりが、ようやく表面に出てきているのだ。・・・視覚的であるよりは聴覚/嗅覚/触覚的、具体的であるよりは抽象的な世界。人間関係の構造だけが顕在化した、まるで神話のような世界。』
2005年11月2日に日本でレビュー済み
ちゃんと読みました、最後まで。10年前に読んだ時は、「バロウズの代表作」を読んだ自分が誇らしかった。内容については、さっぱり分からなかった。10年後、読み返してみた。やはり内容は、何が言いたいのか、書きたいのか、分からない。途中、素晴らしいと思える文章はあります。しかし、それは孤高のロックスターが叫ぶ歌詞と変わらないのでは?と感じています。賞賛の声は多々あることは承知していますが、ぜひ読んで欲しい一冊、とは言えない、というのが正直な感想です。
2013年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新しい家族。海外の方です。
「太宰治もぉー変わった人だったみたぅぁいだけどぉー、この人もとーっても変だよぉ。一度読んでみてよぉ。」と、スロバキアの親戚に勧められました。なんか、変わってそうです。
「太宰治もぉー変わった人だったみたぅぁいだけどぉー、この人もとーっても変だよぉ。一度読んでみてよぉ。」と、スロバキアの親戚に勧められました。なんか、変わってそうです。
2014年6月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヤクにホモに殺人と、背徳に背徳を重ねたテーマだと知って衝動買い。
後悔はしてない。
(なんだか殺人が一番しょぼく見えるあたりね……お察しよ)
ストーリーが頭に入ってこないところに苦労したものの、途中から、これは考えたら負けな小説だと気がついて、頭のおかしさを感じる事に専念した。
それくらい、頭を切り換えて読むと面白い。
ぶっちゃけ、頭がおかしすぎて、殺人のシーンとかですら笑えてくる。
まあ、風刺小説的なもんなのかも知れませんわね。
みんなそろって、こんなバカなことやってるぜ!! 世もまつだな的な。
どちらかというと、巻末のパロウズさんがやってる薬の解説が面白かったです。
編集部注の、パロウズさんか害が無いとかいっているのは、医学的根拠ありません。というコメントもなんだか笑けてきました。
なにがなにやら……。
後悔はしてない。
(なんだか殺人が一番しょぼく見えるあたりね……お察しよ)
ストーリーが頭に入ってこないところに苦労したものの、途中から、これは考えたら負けな小説だと気がついて、頭のおかしさを感じる事に専念した。
それくらい、頭を切り換えて読むと面白い。
ぶっちゃけ、頭がおかしすぎて、殺人のシーンとかですら笑えてくる。
まあ、風刺小説的なもんなのかも知れませんわね。
みんなそろって、こんなバカなことやってるぜ!! 世もまつだな的な。
どちらかというと、巻末のパロウズさんがやってる薬の解説が面白かったです。
編集部注の、パロウズさんか害が無いとかいっているのは、医学的根拠ありません。というコメントもなんだか笑けてきました。
なにがなにやら……。
2011年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画を先に観たのですが、映画の方はザ・フライの監督が撮っているということもあって
別物と思ったほうがいいです。小説の世界観の方が好きかな。違う世界へ連れて行ってくれるのは一緒ですが。
別物と思ったほうがいいです。小説の世界観の方が好きかな。違う世界へ連れて行ってくれるのは一緒ですが。